出典:[Yahoo!ニュース「170cmレースクイーン、盗撮被害に怒り「ドアップで下半身とか…」 “加害者”は逆ギレ「どこに禁止って書いてる?」(ENCOUNT)]

はじめに
幕張メッセで起きた、レースクイーン・辻門アネラさんの盗撮被害告発。 「ドアップで下半身を撮られた」「注意したら逆ギレされた」というやり取りは、単なる“マナー違反”の話に収まらず、SNSで大きな反響を呼んだ。 この出来事は、個人の怒りよりも、もっと大きな“構造”を照らし出している。
SNS反応を踏まえた“構造的な視点”
SNSでは「チケットに禁止事項が書いてある」「非常識すぎる」という声が多く寄せられた。 しかし同時に、「露出の高い衣装なんだから撮られて当然」という意見も散見される。 この“割れ方”は、視線・労働・ルール・承認欲求が絡み合う、複雑な構造の表れだ。
レースクイーンという職業は「見られること」を前提にしているが、「どう見られるか」までは仕事の範囲に含まれていない。 その境界線が曖昧なまま、観客の“勝手な物語”が暴走すると、今回のような摩擦が生まれる。
■1 「見られる仕事」と「撮られる自由」のすれ違い
レースクイーンは、撮影されること自体は業務の一部だ。 しかし、だからといって“どんな撮られ方でも許容される”わけではない。 観客側は「撮影OK=無制限」と誤解しがちで、そこに今回の加害者の「どこに禁止って書いてる?」という発言が象徴的に現れる。
これは、 「契約としての撮影」と「勝手に拡大された撮影権」の衝突 とも言える。
■2 “視線の所有権”という見えないルール
SNSでの反応を見ると、 「見られる仕事なんだから文句言うな」という声は、視線の所有権を“観客側にある”と錯覚している構造を示す。 しかし実際には、 視線は共有されるものであって、所有されるものではない。 その前提が崩れると、視線は暴力に変わる。
■3 イベント運営の“曖昧な対応”が生む無力感
辻門さんがスタッフに相談した際、「見ておきます」と返されたという。 これは、 「ルールはあるが、守らせる仕組みが弱い」 というイベント構造の問題を浮き彫りにする。
ルールが“紙の上だけ”で、現場で実効性を持たないと、出演者は自衛するしかなくなる。 その無力感が、怒りをさらに増幅させる。
■4 観客の“物語化”が引き起こす暴走
レースクイーンは、観客にとって“キャラクター化”されやすい存在だ。 その結果、 「自分の好きなように撮っていい」 「注意される筋合いはない」 という“観客側の物語”が肥大化する。
しかし、 現実の彼女たちはキャラクターではなく、労働者であり、生活者であり、尊厳を持つ個人だ。 その当たり前の事実が、イベント空間ではしばしば忘れられる。
まとめ──「構造があるから感情が生まれる」
今回の怒りは、 ・視線の所有権の誤解 ・撮影ルールの曖昧さ ・“見られる仕事”への過剰な期待 ・観客の物語化 といった複数の構造が重なった結果として生まれた。
感情は、いつも構造の影だ。 構造を見つめ直すことで、初めて感情の正体が見えてくる。
最後に200文字ライム
視線の海で揺れる境界線 誰のものでもないはずの視点
ルールの隙間に落ちた尊厳 光の裏でこぼれる声援
物語化された身体の上で 勝手な期待が暴走して
だから今こそ問い直すべき 見られる自由と守るべき倫理
ライン越えたら崩れる心理 尊重こそが未来の真理
リスペクトで繋ぐこのシーンに クリーンな意味を刻む韻理

