「“視線”という物語装置──レースクイーン下半身撮影問題をめぐる構造」

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出典:[Yahoo!ニュース「レースクイーンの下半身を重点撮影 同じイベントで3人が“被害”「とても不快です。やめてください」]

レースクイーンの下半身を重点撮影 同じイベントで3人が“被害”「とても不快です。やめてください」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース
 青学大出身でK-1ラウンドガールやタレントとして活動する瀬名ひなのが10日、自身のXを更新。世界最大級のカスタムカーショー「東京オートサロン2026」の会場において、不適切なアングルで撮影を行って

はじめに

東京オートサロン2026で、複数のレースクイーンが「下半身だけを撮られた」とSNSで訴えた。 「とても不快です。やめてください」という声は、単なる“迷惑行為”の告発にとどまらず、イベント文化そのものに潜む構造を照らし出す。 SNSの反応を読むと、怒り・共感・諦念・制度への要求が入り混じり、まるで一つの群像劇のようだ。

ここでは、この出来事を「視線の物語」として読み解いていく。

SNS反応を踏まえた“構造的な視点”

SNSでは「出禁にすべき」「本当に多い」「声を上げてくれてありがとう」などの声が相次いだ。 一方で「どこに禁止って書いてある?」と開き直る撮影者もいたというデイリースポーツ online。

この温度差は、 “視線をどう扱うか”という価値観のズレ が物語の衝突点になっていることを示している。

視線は、見る側と見られる側の関係をつくる“装置”だ。 その装置が暴走すると、物語は歪む。

■1 「イベント」という舞台装置が生む“許可の錯覚”

大規模イベントは、照明・音響・衣装・ブースという舞台装置によって、来場者に“撮影していい空間”という錯覚を与える。 しかし、主催者は明確に「身体の一部を強調した撮影は禁止」と定めている。 舞台が開いているからといって、すべてが自由になるわけではない。 この“錯覚”が、物語の破綻を招く。

■2 「視線の所有権」をめぐる衝突

レースクイーンは、職業として“見られる”ことを前提にしている。 だが、それは 「どのように見られるか」まで許可したわけではない。 SNSでの訴えは、視線の所有権を取り戻す行為だ。

「下半身だけ撮られてました」という言葉は、 “身体を部分化される痛み”を端的に示している。

■3 「悪質さ」の物語化──時間・角度・意図

瀬名ひなのは「1時間に20分しか立ってないのに」と投稿した。 短い出演時間を狙い撃ちするような行為は、 偶然ではなく“意図”の物語を帯びる。

角度、距離、ズーム。 それらが積み重なると、撮影は“記録”ではなく“狩り”に変わる。

■4 「声を上げる」という新しいプロット

今回、3人以上が同じイベントで被害を訴えた。 これは単発の出来事ではなく、 「声を上げる」というプロットが共有され始めた瞬間だ。

SNSは、個々の体験を“集合的な物語”へと変換する。 その物語が積み重なれば、ルールや文化が更新される可能性がある。

まとめ──構造があるから感情が生まれる

この問題の根底には、 ・イベントという舞台装置 ・視線の所有権 ・意図の物語化 ・集合的な声のプロット といった構造が存在する。

構造があるからこそ、 「不快」「怒り」「守りたい」という感情が生まれる。 感情は、構造の影だ。 その影をどう扱うかが、これからのイベント文化を形づくる。

最後に200文字ライム

撮られるステージ選んだのは結局YOUだろ
フラッシュ浴びる未来まで自分でセットしたルートだろ
理解した上で踏み出したんだ、そのブーツの一歩だろ
見られる前提のフィールドで走るって決めたプロだろ
だから今さら「撮るな」は筋が違うって話の流れだろ
選択も覚悟も大人のサイン、そこにブレはないだろYO
俺はただ事実をRHYMEに刻むだけ、スタンスはそうだろ
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